末期がんで入院中の男が、1970年代の連続企業爆破事件で指名手配の犯人・過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者だと、病院で名乗り出ました。
警視庁公安部がDNA鑑定等で、身元の確認を行っているということです。
桐島聡はいったい何をしたのか詳しく解説していきます!
50年も経とうしてるのに、なぜ時効にならないのか、疑問の声が上がっています。
- 桐島聡はなぜ時効にならない?
- 桐島聡は時効停止になっていた理由は?
- 桐島聡の時効はいつか。
- 桐島聡は何をしたのか。
このことについてみていきましょう。
桐島聡は何した?
1974年から1975年にかけて東アジア反日武装戦線が起こした連続企業爆破事件は、三菱重工や三井物産、間組など海外に進出していた企業を標的としていて、未遂も含めて12件もありました。
1974年8月の三菱重工ビル爆破事件は、8人が死亡し、重軽傷165人という、大きな被害をもたらしています。
極左暴力集団と言われ、反帝国主義や反植民地主義を掲げるテロ組織が東アジア反日武装戦線です。
東アジア反日武装戦線は「狼」「大地の牙」「さそり」と3つのグループがあって、桐島聡容疑者は「さそり」の所属でした。
桐島聡容疑者は昭和50年4月18日夜、手製の爆弾を1個、東京銀座のビルにあった韓国産業経済研究所の入口ドアにかけて、翌日19日朝に時限装置で爆発させたということで、罪名爆発物取締罰則違反での指名手配です。
当時、桐島聡容疑者は明治学院大学の4年生でした。
桐島聡はなぜ時効にならない?
49年にもわたって逃亡していた桐島聡容疑者が時効になっていないことが驚きですが、時効が停止されていたのです。
指名手配中の容疑者の中では最も逃亡期間の長い人物です。
桐島聡容疑者のおこした事件では人は亡くなっていないので、桐島聡容疑者の時効が撤廃されるということはありません。
一定期間公訴が提起されなかった場合に公訴権が消滅すること(逮捕起訴されなかった時)です。
時効完成までの期間はその犯罪の法定刑が基準とされています。
桐島聡容疑者の場合は、15年とも言われているので、何もなければ1990年には時効が成立していたことになります。
桐島聡は時効停止になっていた理由は?
1977年、日本赤軍はダッカ日航機ハイジャック事件おこし、超法規的措置で大道寺あや子容疑者を釈放させ、その後国外逃亡しました。
共犯者の公判中は時効が停止されるため、裁判の途中で逃亡した大道寺あや子容疑者の公判は現在も停止中なので、現在も桐島聡容疑者の時効は停止したままです。
1977年日本赤軍は日航機をハイジャックし、バングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に強行着陸させました。
犯人は人質の身代金600万ドル(当時の為替レートで約16億円)と、日本で服役および勾留中の大道寺あや子を含む9名の釈放と日本赤軍への参加を要求、福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」という言葉で超法規的措置により釈放されたのです。
1999年に香港で日本赤軍最高幹部の重信房子と会ったことが確認されています。
桐島聡の時効はいつ?
大道寺あや子容疑者の裁判が終了してから12年なのでかなり先です。
1975年の事件で1978年から時効が停止しているということは3年経過、時効まで残りは12年です。
指名手配された事件以外の事件にも関わっているため、正確な法定刑は確認できませんが、15年ぐらいと考えられます。
海外に滞在している時間も、時効が停止します。
サスペンスドラマのポイントになっていることがよくあります。
1995年に罪を犯し、時効まで10年の罪として、2010年には時効が成立したと思っていたら、間に2年間の海外赴任があったために成立していなかった‥という感じですね。
海外逃亡してほとぼりが冷めたら戻ってこようとしても、そんなことはかなわないのですね。
まとめ
【連続爆破事件】犯人・桐島聡はなぜ時効にならないのか徹底解説します。
- 犯人・桐島聡が時効にならなかったのは、時効が停止しているからです。
- 共犯者の大道寺あや子が公判中に逃亡したため、公判が中止されています。
- 共犯者の公判中は時効が停止します。
- 犯人・桐島聡の時効までの年数が15年だとした場合、大道寺あや子の公判終了後12年ということで、大道寺あや子は現在も逃亡中のためかなり先になるでしょう。
- 犯人桐島聡は1975年、韓国産業経済研究所のビルに爆弾を仕掛けた容疑で指名手配されました。
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